『父親の説教』
東京で就職してからは、めっきり家に帰ることは減ってしまった。
忙しい日々に流されて、気がつけば年に一度あるかないかの帰省。
「早く嫁をもらわないかん」
父親は実家に戻る度に、ビールを飲みながら私に説教をした。
正直、そういうのは面倒だ。
「両親の時代とは考え方が違うんだし、
いつか時期がくればいい人も現われるさ」
私はそんな考えだったので、軽く聞き流していた。
そんなやりとりを何度繰り返したことだろう。
父親の言う通りにはしたくない気持ちからか、
単に私に縁がなかっただけなのか、
十数年の月日が流れた。
そしてようやく、私は自ら結婚したいと思う人とめぐり合うことができたのだ。
そんな折に出された辞令。
自ら望んでいた訳ではなかったが、異動先はなんと故郷の町だった。
「そうか、そうか」
相変わらずビールを飲みながら話をしているが、
そこにいつもの父親のしかめっ面はなかった。
びっくりするほど目を細めて、私と彼女を見ている。
うっすら涙すら浮かべていたのに、私は気づいた。
世間体とか、そういうのがあるから父親は私に結婚しろと言っているのだと思っていた。
しかしその涙に、私は父の本当の気持ちを見たような気がした。
「心配かけてごめんな」
今、私は父親と一緒に実家のリフォームを計画している。
賃貸暮らしではもうすぐ増える家族には手狭だったからだ。
そして私は想像する。
一緒に暮らす日、父親の目はもっともっと細くなるに違いない。
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『子どもの頃の思い出』
2DKのアパートに両親と兄弟4人。
子供の頃、私はそんな環境で育った、、、。
一部屋で川の字に兄弟3人で寝て、
末っ子の弟だけ両親の部屋で寝ていた。
朝起きて先ずすることといえば、布団を押し入れにしまうこと。
兄2人が先に布団を押し込むと、
残された3番目の私が布団をしまうには、一番高いところに押し込む格好になる。
まだ小さな私には、一番高いところまで布団を押し込む力が足りない。
毎朝泣きそうになりながら、布団を片付けたことを今でも思い出す、、、。
広い家に住めたらいいな。
自分の個室がほしいな。
そんな事ばかり考えていた。
中学生になるとき、親の実家に引越しをした。
田舎の家は広く、兄弟4人に念願の個室があてがわれた。
兄弟も嬉しかったのか、
それぞれの部屋に、各々の趣味を持ち込み、それぞれの時間が持てるようになった。
何年か経ち、兄弟は皆成長し、成人し、別々の職につき、結婚し、、、
そして、それぞれの家族を持った。
兄弟それぞれが、子宝に恵まれた。
私はと言うと、都会に出て、今の妻と出会い、
やっとこさの想いで、郊外に中古住宅を購入した。
自分の背丈に見合った、小さな家だ。
気がつけば、子供3人に恵まれた。
なんと、3人とも男の子。
男系の血筋なのか。
今は小さい男の子3兄弟は、一つの部屋で布団を並べて、
川の字に寝かしている。
そして、毎朝の日課が布団入れだ。
私はどうしても、一番下の子の泣きべそに弱く、
ついつい手伝ってしまう。
そして、そんな私を軽くたしなめながら、
子ども好きの妻が微笑んでいる。
狭くとも、楽しい我が家だ。
しかし、いつまでもこのままではいけない、
そうとも考えていた。
私の家もそろそろリフォームする時期となってきた。
部屋がどうにも手狭なのだ。
子供もじきに個室が欲しいと言い出すだろう。
かと言って、既に敷地いっぱいの家だから増築も出来ない。
住み替えをする家計的なゆとりもない。
どうにか快適な間取りになるリフォームはできないものか、、、。
なかなか具体的な考えもないまま、一年が過ぎた。
今年の正月に何年かぶりに実家に帰省すると、私の兄弟世帯がそれぞれに帰省していた。
久しぶりに父、母と、兄弟4人、酒を飲んだ。
妻たちは、女同士で子育ての苦労を分かち合っているようだ。
私の家をリフォームすることを父母兄弟にも相談してみた。
お前たちも大きくなったものだな。と父。
すぐに話は逸れ、会話のネタは「小さかった頃の話」。
そう、布団をわれ先に入れようともがいていたあの頃の話。
兄弟ケンカしたあの頃の思い出が、兄弟の心の根っこにあったのか!
もちろん楽しい思い出として。
「そうだよね。
個室を作ればいいってもんじゃないよね。
子供の個性も育てながら、
家族同士が自然と集まるリビングにしたいな、、、。」
いつの間にか傍に来ていた妻が、ぽつりとつぶやいた。
妻には兄妹がいない。
私の実家に来るたびに「賑やかで羨ましい」と言う。
何気なく育った環境が、とても素晴らしくて価値あるものだったんだな、
と今になって分かった。
これからのわが子の成長と、わが家の安心を支えてくれるような家にリフォームしよう。
わが子が成長し、独立してからも「あの頃は楽しかったな」と自然に皆集まる家にしよう。
そんな話をすると、妻は最高に喜んだ。
私は、本気でそうしようと思っている。
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『あるキッチンの物語』
私はキッチンに立ってみた。
結婚して20年。実は一度もここに立ったことがないことに気がついた。
朝は早く、帰るのも真夜中。休日に仕事に出かけることも多く、たまの休みには「疲れた」と言っては寝ていた。
料理は女の仕事。そう思っていたし、妻も文句も言わずに私の好きなようにさせてくれていたのだ。
少し曇ったガラス越しに、家の小さな庭の山茶花の木に夕陽が当たっているのが見えた。
下校時刻の小学生の子供たちの声が聞こえてくる。
私はくたびれた水道の蛇口をひねって水を出した。鍋に水を入れて水栓を閉めると、蛇口ががくんと揺らいだ。
「なんだ、こんなにも傷んでいたのか。」
そういえば妻が「使いにくいの」とこぼしていたかもしれないが、ほんの今までそんなことは忘れてしまっていたのだ。
この家は私の親から受け継いだ。もう建ててから50年くらい経つのだろうか。
家に関心のなかった私は、ろくに手を入れてこなかった。家も設備も何もかも古いままなのだ。
今朝、妻が倒れた。
子供たちを送り出した後、たまたまいつもより遅く私が出かける前に、急に具合が悪いと言ってキッチンにうずくまってしまったのだ。
慌てて救急車を呼んで、妻は病院に運ばれた。
幸い命に別状はなかった。疲れが溜まっているらしく、少し入院が必要との診断だった。
一人で家に戻った私は、古いこの家がこれほどまでに静かだとは思っていなかった。
変わらないと思っていた当たり前の毎日は、こんなにも簡単に変わってしまうのだ。
そういえば妻が「ご近所がリフォームするんだって」と羨ましそうに話していたことがあった。
私はろくに相手にしなかったが、本当は「うちもやりたい」と言いたかったのかもしれない。
古くてくたびれたキッチンの窓辺には小さな花が飾ってあった。
鍋やフライパンも古くなってはいるが綺麗に磨き上げられている。
そして私は帰ってきた妻に言うことを決めた。
「そろそろリフォームしようか。」
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『父の書斎』
去年父が急に亡くなり、空家になったままの状態の実家
季節が変わり暖かくなってきた休日に荷物の整理に訪れた
家の中はまだほとんどの荷物がそのままでありこのまま住めそうな感じだ
定年後、母が亡くなりマンションに一緒に住まないかと同居の話をしたが首を縦には振らなかった父
1人での生活は思ったより器用に過ごしていたみたいだった
母が亡くなってから寡黙な父の住むこの家を訪れることが減ってしまっていたことへの後ろめたさが
この家にくることが今日まで時間がかかってしまったのかもしれない
そんなことを考えながら家の中を見てまわった
和室の奥の父の書斎
一緒に遊んで欲しくて忙しい父の仕事の様子を見に行こうとし
勝手に入ってはいけないとよく母に叱られた部屋だ
少し埃っぽい部屋に入るとそこは時間が止まったままのように昔のままで
窓からは庭の木蓮が見え
床には本棚に入りきらない本が積み上げられている
父が座っていた椅子に座りながら、ふと子供の頃を思い出していた
当時 模型の飛行機が流行っていて週末には河原で飛ばすのだ
私は買ってもらった飛行機を1人で飛ばしながら、お父さんと飛ばす友達をうらやましく思っていた
思えば多忙の父との遊んだ記憶は少なかった
なぜだろうか
久しぶりに訪れたこの家では ずいぶんと昔のことばかり考えてしまうようだ
片付けられた大きな古い木製の机
最近では見かけないようなこの机こそが
私の記憶の父のイメージだったのかもしれない
引き出しの中には父の使っていた古い万年筆や便箋などが綺麗に並んでいる
よく見ると1段目のその奥に一冊の本が入っていた
出してみると表紙には模型飛行機の写真が
父が買っていたのだ
あの頃一緒に遊んだことはなかったのに
子供の頃の時間が蘇る・・・
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リビングの間取りにプラスした「あるモノ」が思春期の娘さんの心を開いた
築40年ほどの木造住宅にお住まいのご家族。洗面所を経由してリビングに入る間取りを変更して、玄関から直接入れるように、というリフォームをご希望でした。
しかし担当者は疑問に思います。「なぜ何十年もたった今になって?きっかけは何だろう?」奥様に詳しくお話を伺ったところ「実は、中学生になった娘が友達を家に連れてきたとき、洗面所に洗濯物がたくさん置きっぱなしになっていて、リビングに入るときのその状態が娘の学校で笑われたことがあった」というのです。
しかもそのことが原因で、娘さんは家族と口をきかなくなってしまったとのこと。そういえば娘さんは一度も話に参加されていませんでした。奥様は、今回のリフォームで家族の絆を取り戻したいと考えておられたのです。
家族の絆を取り戻したきっかけとは?
そんな打ち合わせを兼ねた話し合いの時に、奥様はいつもコーヒーを出してくださいました。そのコーヒーがとてもおいしい!毎回違う味わいで、まるでお店にいるような気分でした。
ご主人も「妻のコーヒーはおいしいんです。娘も好きなんです。」と言われていました。 そこで担当者は提案します。
「リビングの間取りを変更するだけでなく、入ったところにコーヒーカウンターを設置して、豆を並べて置けるようなガラス棚をつけて、コーヒーをドリップできる場所も作ったらいかがでしょうか」ご夫婦はこの提案を気に入ってくれ、工事がスタートしました。
幸せな家庭へと
そして、完成3ヶ月後の点検時。なんと、娘さんも一緒にいらして家族3人で迎えてくれたのです。
リフォームしてからほぼ毎朝、3人でコーヒー付きの朝食をとるのが日課になっているのだそう。さらには、娘さんの友達が遊びに来て奥様の作ったコーヒーを飲み、すごくおいしいと学校でも評判になったことで、娘さんの友達がよく来るようになったということでした。
奥様は本当にうれしそうに「豆が減るのがはやくなったのよ」と話され、ご主人もとても幸せそうな表情。そして今まで一度も話したことがなかった娘さんは、担当者に「本当にありがとうございました!」と笑顔で言ってくれました。
担当者の大胆な提案で、母と息子それぞれの想いが実現した家に
「母も高齢になってきたから、家の中の段差をなくしてくれないか」
それがリフォームを依頼された息子さんのご要望でした。
はい、わかりました。ではバリアフリーにしましょう。と普通はなりますが、
担当者はもう少し事情を聞くことに。
すると、この家に住んでいるのはお母様だけで、段差でころんでケガをしたのを機に、息子さんが建て替えと同居を提案したものの、お母様がそれを断ったというのです。
お母様が断った理由とは?
お母様には、一人っ子の息子が育った思い出いっぱいの家を潰すのが嫌、という想いがありました。それじゃあリフォームでせめて段差だけでも解消しておこうということになったようです。
担当者は考えました。「それでよいのだろうか?」
バリアフリーで段差の心配は和らいだとしても、息子さんの本当の想いは、高齢になってきた母の今後の生活を心配し、家族に相談して一緒に住みたい、ということ。
担当者の提案、それは…
母と息子、それぞれのお互いへの想いをカタチにするには…。
担当者は思い切って「リフォームで二世帯住宅にしませんか?」と問いかけました。お2人は「この家でそんなことできるの?」とびっくりされたご様子。もちろん簡単にできるわけではありませんが、耐震や間取りなど必要な計画をしてご提案し、いざ着工へ。
笑顔に包まれたリフォーム
そして完成3ヶ月後の点検時。同居を始められ、お母様はお孫さんと一緒に楽しそうにテレビを見ておられました。工事前に暗い部屋で一人でテレビを見ていたのとは対照的で、担当者まで温かな気持ちになったそうです。最初のご要望のバリアフリー工事だけでは、こんな風景は見られなかったことでしょう。